【寿司屋弟子時代】精神修行期間 〜下座の行~ 【第1話】【札幌】

【写真:-20になる日があり寒すぎでした】

カナダではなかった若い衆としての経験

寿司屋の修行はゆとり世代ど真ん中に自分にとっては究極の精神修行でした。。。
寿司屋の技術を体得するための修行でしたが、どちらかというと精神修行。

大学卒業後、アメリカで寿司屋を展開したいと夢を抱き、流れに身を任せていたら、この職場に弟子兼正社員として入社をしていました。

どうやら自分が入る前に二人の弟子がいたらしいです。
一人目は覚えの早い優秀な弟子だったが、一か月で飛びパチンコ屋で働いているとか。
二人目はキイチとい名前で相当仕事が出来ない奴だったとか。

彼らの苦労は想像がつくので「無理もないな、むしろ決断が早くて懸命かもしれない」って思いますが、お店の大将と女将さんには相当ディスられていました。

弟子2号のキイチは無断欠席などするタイプで二ヵ月で店を飛ばれ、ススキノで色々なバイトをしているらしいです。居酒屋バイトを最近はしているとか風の噂。その居酒屋では将来を期待されている若い星とのことだったが、今はどうなったんだろうか。。。貯金が得意な奴でクラウンを乗り回していたという。キイチの話が上がるたびに、お店では客と大将、女将さんに「根性無し」とディスられていましたが、個人的にはなかなか器用な男だとも思えます。世間に何と言われようとも、お金さえあれば好きなものも買えるし、自由気ままに生活していけるわけです。親のような年齢の大人たちに、仕事の出来ない奴ってディスられていますが、プライベートでは好きなクラウンを乗っているし、ある意味での自由な彼を見て、正直に自分探しをしていると思え、好感すら抱けました。(自分はやめたくても、やめれないタイプなので)

部活見学的なノリで入社して、気が付いたら消えてる、育たぬ弟子・若い衆たちに困っていて、弟子3号として僕を雇ってくれたのは、15歳ほど離れているギリギリ40手前の社長・大将。

北海道らしく、肌は色白く、清潔感もあって、若いイケメン大将として御客さんに人気でした。利益よりサービス重視のスタイルで御客さんにとっては有難いお店です。

大将と女将さんと一人の弟子 or バイトで回すような店で、立地の良い、座席は18席、客単価一万円の比較的良心的な寿司屋。

カナダ時代の席数100席のレストランとは明らかに異なる職場。

このお店で労働が始まり最初に苦労したのは、”態度”、”振る舞い”、”言葉遣い”でした。
と言ううのも、カナダ時代は、50代のアフガニスタン人や60代の台湾人とどうしようもない愚痴や下ネタをかなりカジュアル、友達みたいに話していて、日本人のおじさん達とも楽しく割と自由にに働かせてもらえてました。当時の同僚、先輩との接し方の感覚があったため、大将と弟子の距離感というものの理解にとても苦労しました。

朝の市場で大将がたまたま先に着いていて自分が手を振って走っていったら。
「たいしょぉお!手を振る Waiving! Waiving!」
「俺はお前の友達じゃないんだから手を振るのはおかしいだろ、まずその感覚を直せ!」
と、叱られ改めて上司に対する態度に対して考え直しました。
心の声「カナダ時代感覚の名残ででてしまった、、、」ここでは通用しないと即座に悟りました。これは完全な黒歴史です。

こういう風にずれた感覚、無意識的にやってしまう態度を指摘され叱られ直すことは多々ありました。それ故、最終的には究極に気を使っていました。話す事すら躊躇する程になっていたし、本当はもっと話しておけば良かったんだけど、言葉遣いさえも相当注意されたので、気が付けば必要最低限話す様な無口に。。。という理由で仕事とプライベートで完全に二重人格になってしまった訳です(笑)。プロ意識が高くて器用な方々はうまく自分らしさを出して、変なずれを出さないんでしょうが、、、

ある日、
「これって~~~ですよね?」
「そうですよね」
と悪気もなく返答していると、

「偉そうに聞こえるから”ね”ってあまり使うな!」
と言われました。

非常に多くの場で「~ね」と使ってしまうので、この注意の後、より一層発言数が減りました。寿司の修行というより、人としての矯正が50%ぐらいの比率であったと思います。

完全なゆとり世代の自分にとって、ひたすら厳しい環境に身を置くというのは初めてで、ぬるま湯に浸かって来た自分の精神を鍛える素晴らしい修行になったと今になってポジティブに解釈してます。経験させてくれた事に対して純粋な感謝の気持ちを感じてるし、今後自分の人生で「自転車操業命がけの社長」があそこまで本気で大人の教育として叱ってくれることはないんだろうと思えるぐらいです。
※ただ絶対に許せない事もあるので、それは後々退職する時のストーリーの時話すのでここでは割愛させて頂きます。

ここで辛かったのは大将の活舌が極めて悪く、何を言っているのか理解できなかったことです。大将がうちの母親にあいさつの電話をいれたそうですが、母曰く何を言っているかわからなかったので、丁寧にそれっぽく「はい、、はい」言ってたそうです。お客さんも当然理解できないので、女将さんが通訳をしていました。

長時間一緒に過ごしたので程度は慣れ少しは理解力が増しましたが、退職する時も、結果として聞き取れない発声を3割はしていました。3割って本当で、常に自分の中の自動音声変換をアクティブにしていました。

かなり忙しい状況でこんな流れはよくありました。

大将「fldsflljh、;sdhgfを頼む!」
わし「すいません!!もう一回仰っていただけますか?」
大将「まずカニミソ焼いて、そkd後 dgf碗蒸siff;h」
わし「、、、、わかりました!(察するにカニミソやってから茶わん蒸しを出すのね)」
わし「カニミソOkです!茶わん蒸し用意しました!」
大将「;dsf?茶わん蒸し作ってどうすんの!!!茶わhsdし機の火を止めてほしかったの!!!察しろ!!!」
わし「すいません・・・・」
大将「お前すぃ事舐めてんのか!?ゴツン(殴られる)」
わし「すいません・・・」
大将「しっかりしろお前!!」

聞けば良いだけなんです。
ただ、超忙しい時に何回も聞ける雰囲気はありません。
それでも聞けば良いんです。。。わかるまで・・・

約2年共に過ごしましたが、7割の理解と3割は経験での察しでなんとかしていました。完全に聞き取るのは至難の業です。聞き取るセンスじゃないです、経験値。。。

弟子の頃は毎日平均16時間の労働をし、毎朝10時に可能であれば仕入れる魚の勉強の為に市場に行きます。


夜中の2時、3時に家につくような日々を送っていて、最初はその時間感覚になれるのに時間がかかりました。毎日仕事終わりに玄関に入ると両足をつって倒れてました(笑)。

毎日平均5時間の睡眠で、慣れてしまえば苦ではなかったですが、仕事中に睡魔で倒れそうになることがたまにありました。肉体労働の業界的に、寿司屋的には、別に通常の労働と思いますが、友達も彼女もいない、お金もない、ひたすら寒い、叱られまくる日々の自分は常にギリギリでした。

6時間働いて、昼食をとってからの10分ぐらいの休憩も、あって無いような長さでした。というのも女将さんが出勤したら、自分の寝ている部屋で着替えるので、起きて移動するしかしかありませんでした。
睡眠不足ということで、休憩中2分で眠れる様になりました。当時はいつも睡眠不足だから出来ましたが、今はもう睡眠不足ではない無理ですね。

世間のイメージ通り北海道の冬は非常に寒く、札幌でも-15や-20などよくありました。蛇口からの水は常に凍るように冷たい、痛い、Painfulfulfulです。

仕事中、魚のアラを取る時や、食器、器具を洗うため、洗い場によく居まして、たぶん一日4-5時間ぐらいは水に触れていたと思います。徐々に手が荒れてきて、手がボロボロになっていく姿を見て気の毒に思えました。キンキ(タイみたいな魚)の毒で手が腫れることもありましたが、毒系は一週間もすれば治るもので、慣れれば大したことないです。それより水で手が荒れると、手を休ませることは仕事柄ないので、慢性的に治りません。傷だらけの手で料理を出すのでお客さんにも心配されました。これに関しては料理人の宿命らしく2年もすれば、肌が厚くなり、荒れなくなると言われました。みんなこういうハードルを乗り越えて仕事しているんだなって感心です。

余りにも手荒れが酷かった為、地元に帰った時、母親にワセリンを渡され塗ってみたら、アラッビックリ!、効果的に細かいひび割れに効いているのが分かりました。無数にある傷口に効いて治癒されているような温かい感覚。。

のんきに塗って働いていたら、
「お客さんの口に入ったらどうすんだお前!」
とある時激怒された。

完全な正論だと思い、使い時を間違った自分が悪かった反省しました。
同時に「心配した母がくれたワセリンを使ったら怒られた」という事に対して複雑な気持ちになりました、エモ。ですが、どう考えても使い時が悪かっただけです。因みに手荒れに関しては仕事を辞めてから治りました。

話は長いので今回はこの辺にしておきます。

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